言い訳編 その0?

みなさんこんばんわ、“´y`A”です。 
どうも ご無沙汰です。

ちょっと業務でバタバタとしていたこともありまして、気が付けば
1ヶ月以上空けてしまっていました…

その間なにか作っていたか? といいますと、実は何も作っていません…いや、ちょっと違うかな
見せられるものが、何もありません!! かな

・スクーターは少しデザインも含め検討し直したいなー と言ったところで現在保留。
・ライトセーバー傘は、そもそも論的に”伸びる・縮む”のギミックが欲しい気持ちがムクムクと膨れ上がってしまい
 ”構造的にどう解決するの?”っといった壁にぶち当たっております。
・通勤スケボーはもっと洗練されたデザインで進めたい! 根幹のコンセプト 持ち歩ける!を解決できてないし…
 
 それに他所様の製品が既にカッコよくって…ホンダエンジンをつけたのアメリカ陸軍向けに開発されたパーソナルモビリティ[DTV Shredder]
 アレが思いのほかカッコイイので引きずられてしまいそう…とか 思っていたら
 ちょっと方向性を見失いそうになってしまったので、これも保留と!

どれもこれも保留で何をしてるのかね?って感じですが、 “´y`A”なりに街中を見回し(性能の悪い)アンテナを
立てて欲しいものを探していました。(要するに現実逃避でちょっと飽きてますよ といった感じですね。)

で!今後の展開は と言いますと
そろそろ、大きな乗り物に行くかハタマタ……思案中です。

ちなみに今、ちょっと気になっているのは放置自転車と公共の自転車置き場の関係。
同じ規格のコンパクトな自転車を地域でシェア出来ればあんなに汚く煩雑な状況は生まれないんじゃないか…

とか ちょっとそんな方向で何か考えられないかなーと
そんなことを妄想中で本日失礼させていただきます。
(まあ、結局何にも進んでいないという報告と言い訳ですね。)

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今すぐ欲しい??[通勤スケボー編ーその1]

みなさんこんばんわ、“´y`A”です。 
前回のメモ描きを元にモデリングしてみます。
 なんとなく、こんな感じ・・・かな。 メモと合ってるけど違和感? ブレーキですね!

そういえばの前回懸案のブレーキもロードバイク(チャリ)のディスクブレーキを装着で何とかなりそうだ。と
あれなら無駄に強力な制動力もありますから。
だがまだ違和感? バッテリーですね!メモのようにデッキに置くと脚の置き場が無い。
唯でさえ不安定なのに、足場にまで注意を払うのはどうだ?しかもモーターカバーを踏むのもどうだ?

で、バッテリーの置き場所を変えた案でモデリング続行。

そう、この感じ。必要なものを足し算、足し算って… えっ
ブレーキはブレーキでタイヤ径より僅かに小さなディスク。ホイール径より大きいって…いったい…

どうしたモンでしょう…コレ。
まるで、意図したものと違う気が…軽くコンパクト…でもないし、(はっきり重そう)
のんびり移動って雰囲気でもないし…。

けっこうぶっ飛ばしそうですね。

しかもスタイリングがかなり醜い。あらかじめ覚悟の上のモデリングだったけど、
出来上がりは予想以上に醜い。あああ

こういう無駄なギミック感、チープ感は嫌いではないですが、ちょっと…
コレは持って歩けそうにないな…と。 少し洗練させねば。
そう、“´y`A”に足りないもの。それは引き算をする能力。

といったところで、今回は之にて失礼致します。(次回これ続けるかな~)

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今すぐ欲しい。[通勤スケボー編-その0]

みなさんこんにちわ、“´y`A”です。 すこし投稿日がズレ出してきました。

スクーターの熟成に気持ちが全く行かないのでちょっとしばらく脱線
というか、違う枝を出していこうかと思っています。
ちょっと短めの枝として。”今すぐ欲しい。通勤の足”と題して
全力で楽しむモノではなく。移動の手段として考えたいな。と思います。

大阪の街でお仕事(デスクワーク系)をしていますと、車(自家用・社用)での移動とか出勤とかは、
よほどの事が無い限り選択肢として入ってきません。
打ち合わせ等の移動の際も、良く出来た公共交通機関(まあ地下鉄ですね)と近隣ならば社用自転車
のお陰でそれほど不自由をしないのですが…
時々ある不意の公共交通機関がカバーしない地域への移動や、ちょっと遠めの外出先の交通機関からのその先。
”歩くにはちょっと…でもタクシーなどを利用する程でもない”距離
これらは、やっぱり徒歩で移動しかありません。

・・イメージ:徒歩以上、自転車未満の移動距離。

あと、それに歩くと言えば、現地調査があります。パースやCGを描く際、やはり下調べ。現地調査は重要です。
作品の質を上げる意味では欠かせないことです。
これらが兎に角、歩く!歩く!! 対象の地域の半径500mとか1キロとか酷い時には対象”地域”の
付近一帯とか。
公共機関もなかなか使えません。歩いては立ち止まって調べ、記す。また歩いては… といった感じで小道や
同じ付近をぐるぐる回ったりなのでチャリ以外の適当なツールがありません。
でも、遠方ならバスや電車にチャリを積む訳にも行かないので(折り畳み!とかキャリングバックとか
市場に出回っていますが、業務中の使用として考えた場合。現実問題ムリです。)

・・イメージ:交通機関を利用できる手軽な車体構成。
・・イメージ:出来れば動力付き。

これ!これらは“´y`A”にとって、とても重要。

一昔前キックボードが巷に出回り始めた際に。「これだ!」って思ったのですが…
あっ!!! と言う間にチビッ子たちの乗り物として認知されてしまい。爆発的に流行り
廃ってしまいました。  
あ~あ! 勝手にブームになんかしやがってぇー(心の声)

要はアレでいいのです。  “´y`A”的には。
ただ、廃ったモノには乗りたくないのが人情。しかもチビッコの乗り物!として固定化されてるし…
欲を言えば、漕ぐ?蹴る?のがオックウだな~ くらいで。

スポーツではなく移動。 エクストリームだとかトリックだとかメイクだとか、そういった熱い!衝動、行動と
対極の”だらりと中年の移動補助ツール”
これです。今欲しいのは。 どんなにカッコよいマシン単体でも、ムッチリお腹のくたびれたオッサンが乗れば
所詮台無しです。
(ところで、くびれた!とくたびれた!では一文字入るだけで偉くシルエットか変わるものだな~  とかどうでもいいですね。そうですね。)

そういった事なので外見に余り拘らない”実”を考えてみたいな。と

あえてスケボーとしたのはキックボード以外の何か にする為です。

まず、未来の機構や構造、素材などは今回はNGの方向で!出来れば市販品の小改造で済ませられる
位のモノを目指します。(とりあえず暫定的に!)

チビッコの乗り物!でなく。エクストリーム??スポーツ用品でなく。オッサンの移動補助ツール
これです。

で、使用想定。
以前からチャリで近隣を移動している。と書きましたが。このチャリ。結構便利で だけどメンテナンスを
ちゃんとしないと直ぐにタイヤの空気が抜ける。 当たり前だけど…
これの原因は歩道と車道の段差。縁石の段差がタイヤに負担を掛けているのですね。
歩道から車道に上ったり下りたり。緩やかにスロープとして段差を吸収している場所なら5cm程度なのだけれど
そうでない所は15cmから20cmの段差を無理に通らないといけない。
これがチューブタイヤにはキツイみたい。
あっ いや、乗ってる人の体重の話は当然付き物で、これが一番の原因だけど、まあ とりあえずそれは置くとして…
そういったあれこれを気にしだして見ると、結構市街地は段差が多い。
ストリートのスケボーはその辺りを楽しむモノらしいけど…
疲れた通勤のオッサンにオーリーとか出来るわけもないし、そんなの逆にキマッてもなー 
いやいや そうじゃなくって。

気になってネットでいろいろ調べたら。スケートボードもキックボードも
”ウィールの径が小さいのでパッと見、気にならない程の小石や路面の荒れで転倒する可能性も有る!”
”サス機構が無いので振動がモロにきて疲れる上、操作に影響する”

そして今更ながら重大な事実に気が付いた

通勤や移動にこれらの乗り物を公道上で使用する! となると法的には
…ほぼ”黒”…(に限りなく近いグレー)だそうで、
そもそも論として成り立たないではないか…
そうか、チビッコだから大目に見られてただけ。(しかもしょっちゅう怒られてるし)
ストリートボーダーたちは自己責任で法の目を掻い潜ってる。(言い方悪いかな。出来る場所を選んでる!)と
グレーだ。いや限りなく黒だ。社会的責任の付いて回る大人には!すぐさまアウト!だ。
しかもドン臭いオッサンが使ったら。事故だなんだとなる前に まあアウト!

ううむ。

ぐうぅぅぅの音の出ない所だが…

いや待て! いやいや最近、どこかの学研都市だかでセグウェイの実証試験をやってたし。
法が変われば、グレーも白になるはずです。 そうです。そうなのです。

とりあえず、強力なブレーキと灯火類。反射板。あとベル(クラクション)なんかが有れば
どうとでもなりそうな予感。とても楽観的な予感。
これらにプラス、先に挙げた構造上の問題点?を解消した車体があれば…
それはそれは素敵な移動体になれるはずです。

 

それにしても…ブレーキ どうすっかなー。

といったところで、今回これにて失礼させていただきます。

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ACT#005 ヤマダデンキじゃない方の、魔法的なナニか。              -あと、スタッフの対話

 
  ケータイ鳴ってる。ケータイ鳴ってるよー。

 いや、いいねん、いいねん。こんにちは、夏口です。然らば社内近景スケッチを。
 
 

 
 「夏口さん、このタイミングで変更修正の指示受けて、明日の納品、間に合うんですか」

 「いや、工程はちゃんと出してるんや。クライアントの方で、どうしてもこの形状変更だけは
  反映したいらしい」

 
 「私は帰りますからね。昨日も帰ってないんですから」

 「・・・ここだけ、直れへんかな」

 
 「あー、魔法がほしい」

 「あほっ。江戸時代の人からしてみー、このコンピュータがパチッとつく時点で、すでに魔法や」

 
 「あー、魔法的な何かがほしい」

 「かのアーサー・C・クラークも『充分に発達した科学技術は、魔法と見分けが付かない』と
  いう有難い言説を残している」
 

 「それ誰ですか」

 「なに。CG屋として、あのクラークを知らずに」

 
 「知ってますよ。『2001年宇宙の旅』の人でしょ。もー、2011年なんですけど」

 「少しでもイイものを、と思うそのコダワリだけが、明日の自分を作るのだ。『2001年』の
  完成度を見よ。監督をはじめ、スタッフの熱いコダワリなくしてあの作品はなかった」

 「もっとスタッフの生活にコダワってほしいですけど」
 
 
 

 「先日もテレビで、【コダワリは身を助く】の好事例を見た。高島忠雄の、顔が濃い方の息子が
  音楽番組のパーソナリティーをしとった」

 「それ知ってますよ」

 
 「えらく音楽的素養のあるトークを楽しげに繰り広げとった。アレは音楽好きが高じて、
  コダワってきたからこそ、きた仕事やな。頭から足の先までウソくさかったけどな」

 「ウソくさいって失礼な。あの、ヤマダデンキじゃない方でしょ。彼はかなりのロック通だ
  そーですよ。自分で言ってました。でも【ロック通】って恥ずかしいですけど」

 
 「そう。【通】はいい。日本人はとかく【道】の方にすぐ持っていきたがるけど、 
  【通】は稚拙なアナロジーから逃れ、できる範囲で極北へ向かう可能性としてはありやと思う。
  自称せん限り」

 「ゴタクはいいですから、とっとと仕上げて帰りましょ。みんな、ちょっと集まってー」

 

 

 こうしてまた、僕は魔法にかかった気分になる。



quod vide:

 「シブすぎ技術に男泣き」 見ル野栄司著 中経出版
   個人のコダワリ(特にものづくりに対して)が向かう地平はどこなのだろう。理工系の
   いろんな職人が出てくるが、「設計は思いやり」の言葉はいい。漫画エッセイ。
   

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まだまだ息抜き。[ライトセーバー傘編-その1]

みなさんこんばんわ、“´y`A”です。

まだまだ生き抜き  じゃない息抜き、ライトセーバー傘編です。
ちょっと仕事が混んでいてやってる時間が作れてないだけなんですが…

社内のスターウォーズ通の人に教えてもらったのですが、色!違いますね。

ジェダイは緑。帝国は赤…ですか?
自分なら、青(は無いんでモンね) やっぱり赤かな。
どっぷりダークサイドに!!

そして前回説明しませんでしたが、やっぱり発光パターンは
下から上に!手元から先に伸びるように光る。  これですね!
1秒程度で伸びる感じかな。
有機ELの素子を縦に10段階くらいに割って時間差をつけて点灯。
消えるときは先から!

それも各パネル少しずつ照度を上げていくのが出来れば
完璧なんですが。たとえば2秒ぐらいで…
組み合わせればいい感じになりそうだな~

畳んだカバーが座標重なって真っ黒になってるし。何とかならんかな~

音も欲しいけど、流石にそこまではいいかな
ココまで来ると、ほんとに伸びて欲しいな~
次は折り畳み傘か?(やりません)

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#004 生まれて一番最初の記憶。                             あるいは、大毎地下の幻と赤い傘の女。-あと、少し映画。

 
 いや、今きたとこ。こんにちは、夏口です。今日は昔話。

 

 
 西梅田のとこらへんに広告代理店が多く立ち並んでるので、打合せの行き来でその界隈をよく
 ウロウロする。
 こないだも打合せ帰りにそのあたりを歩いてたら、新しいフェスティバルホールの工事がだいぶ
 進んでる。
 
 躯体が27階位まで立ち上がって、まー、とにかくデカい。横方向のボリュームも周りを圧倒してる。
 
 聞くところによると、最終的にはさらにドン!の37階建て、しかも西隣りにもう1本同じようなのが

 計画されているという。中間免震で、その中間までの一段と太い4階~9階位のとこがフェスティ
 バルホールになるそうだ。
 

■ 1)私の体がアナタを忘れない
 
 
 取り壊される前のフェスティバルホールでは、山下達郎とか綾戸智恵のコンサートも観たけれど、

 年月を経ていまだに、僕の肉体が記憶として忘れていない体験がひとつある。
 
 僕が私立男子校の高校生だった頃、20年以上も昔の話。A・タルコフスキーの映画「ストーカー」

 を観た時の事がそれで、でも実は作品自体での体験ではない。
 
 
 映画の途中で、突然にフィルムが焼けて上映が中断したのだ。
 
 咄嗟に何が起こったのか、全く頭が理解しなかった。
 スクリーン上では、ご想像通り、フィルムが焼けていく時になるあの状態、赤茶色の虫食い穴みたい
 なものがじわーっと広がっていって最後には真っ白になる現象が展開されたのだけれど、この時に
 僕の脳と体が体感したのはそれだけではなかった。
 
 
 自分のいる世界が、全然別の角度からピシャン、と閉じられて痛いような。

 ユメから無理矢理連れ戻されて、起きて直ぐ自分がどこにいるのかわからなくて淋しいような。
 
 
 そもそも二次元のスクリーン上に映し出される映画を、鑑賞中は映画世界に没入して三次元の体感

 となって経験している。映画を劇場で観る、とはそういう経験なのだとあらためて痛感した。
 
 さらに「ストーカー」。この映画が映画で、ご存知の方はお判りのようにタルコフスキー印全開。

 お馴染みの河のせせらぎのような水の音を伴った魂安らぐ眠気が通奏低音としてあり、その上に
 全編にわたって静謐で澄んだ美しい映像がこれでもかと繰り広げられる、映像没入度合120%。
 フィルム燃焼事故体験にはうってつけの映画なんである。
 
 
 それにしても、おそらく10分は中断していたと思うのだけれど、その間、客席はざわつく事もなく

 静かなものだった。多分、皆が呆然となっていたのだろう。
 
 その時の感覚が、いまだに体の奥の方に残っている。

 経験した出来事を片っ端から忘れ去っていく僕にとっては、これは無類に珍しい。
 
 

■2)どこまでが本当の記憶か
 
 
 そのフェスティバルホールの近く、今は堂島アバンザが建っている所あたりに、昔、【大毎地下劇

 場】と【毎日文化ホール】という名画座があった。だいたいからして毎日新聞社資本の文化事業の
 要素が少なからずあったと思うのだが、映画料金が異常に安かった。
 
 
 【大毎地下】は少し古くなった洋画を2本立て700円でかけてた。レンタルビデオの料金がたしか

 2泊3日で500円位の時代。高校生の僕はいろんなものをそこで観た。観たい作品はもとより、そこ
 で初めて知ったものも多い。「ロッキーホラーショー」なんて何も知らんと「バンデットQ」の併映
 で観て吃驚して面白がった。
 
 その【大毎地下】の隣りに芝居も上演できるようなキャパのある【大阪毎日ホール】があって、こち
 らでは邦画を2本立てで上映してた。なぜか家にこの只券が毎月4枚あって、それで黒澤明はじめ
 巨匠の作品から、健さんのヤクザものじゃない映画とか、竹田かほりの「桃尻娘」シリーズを観た。
 ちなみにこのシリーズ、ちょっとしたお色気シーンしかないのだけれど、全校生徒2000人+教師全て
 これ男(女性は、食堂のおばちゃんと保健の先生と図書館の司書さんだけ)という僕には充分刺激
 的であった。
 
 
 そして、またさらにその【大毎地下】の上に【毎日文化ホール】があった。ここは一番、名画座っぽ

 いプログラムで、ここではトリュフォーの作品だとかを観た。料金は2本立て400円と、超格安。しか
 しそれには理由があって、ホールと冠すれど、学芸会ができる程度の広さの部屋にパイプ椅子という
 環境。
 
 その上、映写機がなんと部屋の外の廊下に置かれている。つまり、映画は壁に大胆に穿たれた穴を
 通して部屋内に投影されているのだ。だから後ろの方の席の人が映写機の前を横切ると、スクリーン
 にその人影が映って映像が見えなくなるという状態。でも皆、映画が好きで観にきてるのだ。
 
 
 
 と、ここまで書いて少し不安になった。本当にそういう状況はあったのか?

 僕の記憶違い。あるいは、懐かしい昔の思い出に浸ろうとするばっかりに、僕の脳が創り上げた虚構
 ではないのか? と。
 
 早速ネットで検索してみた。
 毎日文化ホールを懐かしんでる方はいるけれど。
 パイプ椅子でお尻が痛かったという記述はあるけれど。
 映写機剥き出しの話は見当たらない。
 
 
 ところで、あなたの今現在憶えている最も古い記憶は何だろう。
 
 
 3歳位の出来事。僕の場合はそれくらいだ。しかし、よく考えてみると、0歳~3歳の頃の出来事には
 人生全体でも特筆すべきエポックメーキングな事が目白押しである。初めて歩くとか、初めて喋る、
 初めて食べるとか。けれどもそれを憶えている、という話はあまり聞かない。
 三島由紀夫は「仮面の告白」の冒頭で、自分がつかった産湯のたらいの縁が光っていたのを憶えて
 いたと書いている。(あくまで自伝的小説の中だけれど)
 
 特別な才人は別として、精神分析学の岸田秀さんが、何かの本の中で、幼少の頃の記憶は後日に

 写真や親語りによって逆輸入されて形成される事が多い上、その中でも実際に記憶として残される
 (もしくはそう思いこむ)のは、現在の自分を説明するのに一番適したもの、という意味の発言を
 していたように思う。
 ということはつまり、この廊下の映写機は、僕が現在の自分を説明する為に、でっち上げた偽の記憶
 に過ぎないのかも知れない。

 

 そういえば、こんな事があった。
 
 いつものように高校の授業が終わった後、【大毎地下】で2本立て映画を観た。映画が終わって劇場
 を出る頃、もうとっぷりと暮れた夜の空から激しい雨が降っていた。傘を持たず、どうしようかと考
 えていた僕に一人の女の人がすっと傘を差し出してきた。そしてその20代後半くらいの女の人と、
 結局、
駅まで一緒の傘に入って歩いて帰ったのだが、彼女のベージュのコートと真っ赤な傘が印象
 に薄く残
っているだけで、どんな会話をしたのか、自分がどんな気分だったのか、全て忘却の彼方で
 ある。

 
 不思議なのは、この【大毎地下】から大阪駅までは堂島の地下街を通ってずっと地下で行く事ができ

 た、ということだ。
 とすればこれもまた、僕の頭が捏造した記憶なんだろうか。だとすれば、
 脳は今の僕にどんな説明を付けたがっているのか。

 

 ただ、このひとつだけはたしかに憶えている。
 彼女の雨に濡れたコートから、その傘の中、彼女のにおいがしてた。




 

quod vide:
 「ストーカー」(1979年公開)/上映時間164分/監督アンドレイ・タルコフスキー
  眠気が通奏低音と書いたけれど、この作品の後の2作も含めてよく考えると、タルコフスキー作品は
  音楽に似ているのかもしれない。まー、でもそんな事はどっかの評論家たちが既に論じつくしている
  か。武満徹も好きだったそうだし。

 「ロッキーホラーショー」(1978年日本公開)/監督ジム・シャーマン
  サントラを買うという発想がなくて、借りてきたビデオをオンラインで録音して聴いていた。
  一時期、主役のティム・カリーはジム・キャリーの父だと本気で思っていた。
  
一時期、この映画のティム・カリーの仕草を真似ようと本気で努力してた。最後のトランプ配る仕草
  とかね。

 「バンデットQ」(1983年日本公開)/監督テリー・ギリアム
  
「ブラジル」撮る前の作品。でもやっぱり「12モンキーズ」か。記憶の問題はいろいろと複雑だ。でも
  やはり最大のネックは【時間】か。

 「幻想を語る」「さらに幻想を語る」 岸田秀著
  論文より対談集の方が面白い。記憶については、養老孟司さんが「幼児の記憶がたいていの場合に
  消えてしまうのは、記憶の機構がどうというよりも、それ以降に脳が大きく発達してしまう、つまり変化
  してしまうからかもしれない」と身も蓋もないコトを言っている。がしかし、だから余計に幼少の記憶に
  ついては現在の自分説明という説にも説得力がある。
 

 


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ちょっと息抜き。[ライトセーバー傘編-その0]

みなさんこんばんわ、“´y`A”です。
スクーター、ちょっと熟成が必要な気がしてきたので ちょっとだけ寝かせます。

で、今回は気分を変えて。最近気になる作ってみたい物!!で行きます。
最近“´y`A”が気になる二つの傘があるのです。
ライトセーバー傘。と日本刀傘。共に正式名称は知りません。
どちらも グッとくる!! ほしいっ。  

ですが! 買うまでにあと一歩、後一歩何かが足りない気がするのです。

ライトセーバー傘。光る。カッコイイ。ただ光るだけでなんか欲しい。 でも、惜しい。
シャフト(中棒)が光ってもカバー(傘布)が黒い。光るときは使うとき。 どうも惜しい。特に見栄えが…
畳めば黒い傘!それにランナー(下ロクロ)が光の邪魔をして”一本通った””光”にならない。
実に惜しい。
使用時に顔の近くに光源があるのも理屈的に良いのか? なんか眩しいだけな気もするし…
誰に対して、何に対して光っているのか?ちょっと分からん。
日本刀傘。確かにカッコイイ。 畳んでいる時の見栄えを優先している、というのも、それでいいと思う。
どうせ使っているとき(振ってるとき)はそんなこと割とどうでもいいから。
造りがいい!やるからにはしっかりと造り込む。ここらの発想はとてもいい!
鞘に収まったイメージも中々渋くて”刀を帯びる”感がいい…が 直刀。(まぁそれはいいか)

だがしかし。
外国の人に比べてやはり日本人は”日本刀に対する気持ち”が違う気がするのです。何というか
”侍の魂。”遊んじゃいけない気が…  多分に気分的なものだけど。
外国の人がサムライブレードに憧れて作る。とか使う。はいいと思う。いい事かどうかは正直分からないけど、
サムライ。ニンジャ。カタナ。シュリケン。日本の文化を認知しようとしている。そういうことだから。

 でも、日本人は安易にそれをしちゃいけない気がするのです。

まあ、なんとなく!なんですけど。とりあえず精神論は置いといて。 
やっぱり遊べるモノでないと。

それに多少ひらけた人の居ない所で、ブンブン振り回して遊んだりとか、やっぱ、”刀を帯びる”雰囲気を楽しむ
高尚??なのより、ガキンチョになって遊べる方が楽しいしね。

ライ○セーバー傘

なので、今回は
・畳んだ時にカッコイイ
・光る
・造りがイイ。(雰囲気が)
・多少丈夫(実戦は不可)

これをコンセプトに遊べる傘をちょっと考えたいな。などと思っております。
傘をラ○トセーバーに見立てて遊んだ幼少期のある方なら、多少理解していただけるのではないでしょうか。
傘の傘たる使い方よりも、そっちに重点を置く。どうもおかしい気もしますが、
私が欲しいんだからいいのです。
どうやって作るのか?

多分に妄想が入っていますので、念のため。
最近巷で話しに上る、次世代照明”有機EL” あれはまだ技術的に問題が有るそうですが
・とても薄く作ることが出来る
・柔らかい基盤に作れば曲げることも出来る

この二点があれば結構”道は開ける”のではないかと…

光る要素。
・中棒が光る=光が途切れる。細い。畳んだ時に中で光っている。(透過すれば問題ないが)。差す時眩しい。
・カバーが光る=畳んだ時、しっかり光る。そこそこなボリューム。使用者が眩しくない。
         第三者からの視認性が高い。(これはオマケ)

  絶対振り回すな。仲間とかと一緒にいたら。  大人限定 完全自己責任のおとな専用で
おねがいします。

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ACT#003 鏡の国のアリスとシンメトリーの罠。-あと、少し本。

 

 さりとて、こんにちは。夏口です。

 

 ふと気がつくと、窓ガラスに室内の様子が薄く反射して映りこんでいる。
 目の焦点の合わせ方次第で、窓外の景色を見ることができるし、あるいは映りこんだ室内を窓ガラス
 の表面に見ることもできる。今回はそんな話ではじめてみる。

 

 パースを描いてると、この世界のそこら中に、光の反射と映りこみが満ち満ちていることが気になっ
 てしょーがなくなる。ガラス面は勿論、水面、車のボディー、家具の金属部分、大理石のようなツル
 ツル素材、鏡面仕上げのライター、CDの裏面、携帯の液晶画面と、枚挙に暇がない。

 

 CGパースの場合、物体への映りこみも含めた基本的な素地は、機械が光学法則に則ったフリをして
 計算してくれるので、物理的には正しい反射、映りこみが計算結果として現れてくる。
 
 ところが、はじめに書いたように、人間は瞬時に見たいものにフォーカスする目を持っているので、
 人間の見た目に自然な絵を仕上げる為に、絵としての細部のバランス調整が必要になっってくる。
 逆に言えば、光の反射やモノの映りこみ、影のバランス調整によって、見せたい勘所に視線を誘導
 できたりもする。

 制作経験が短い間は、窓ガラスに映っている室内の向こうに透けて見えている外の景色、みたいな絵
 に妙にリアティーを感じてしまうので、嬉しくなってやたらと映りこみを強くし過ぎて、お客さんに
 「これやったら折角の外の景色が全然見えてへん」と怒られたりする。
 
 そんな風に、常日頃から眼前に展開するこの世界の映りこみを観察している習癖をもってして
 こんなコトを、どーなのよ?と。

 

■なぜ、鏡に映った自分は左右だけが逆なんだ?

 

 この謎は歴史がある由緒正しいモノらしい。
 しかし、単純に鏡の前に立った時、なんで右と左が反転してるのや?と。上下はひっくり返ってない
 ぞ、と。なんで上下ではなく、左右が反転しているのや?と。

 この問題を考える時、今からひとつだけ、たったひとつだけ約束事がある。
 僕が「もういいよ」と言うまで、絶対に鏡の向こうにいるアイツの立場にたたないコト。これだけを
 前提条件として、簡単な結論に辿りつきたいと思う。

 

■絶対に鏡の向こうのアイツの気持ちで考えないコト

 

 さて、鏡を見てみる。いつものアイツが映っている。
 右手を挙げてみる。
 

 さー、ここで、アイツの立場にたたない僕たちは、あくまでもこっちから見て考える。
 
 頭はこっちと一緒で上にある。足は同じく下にある。挙げた右手も同じく右にある。下げたままの
 左手も同じく左にある。

 違うのは-。
 僕たちは鏡の方に向いて立っている。アイツは僕たちの方を向いて立っている。
 そー。
 
 違うのは前後の向きだけ。
 前後だけが入れ替わっている。これが鏡の属性。上下、左右に入れ替わりはない。
 (後で述べる理由で、ここからは”逆転する”、”反転する”、”ひっくり返る”という言葉は使わ
 ない。それらの言葉は僕たちのとある行動を想起させるから)

 

 まだ不満なら、アリスのように鏡の中に一歩、足を踏み入れてみよう。黒猫キティーはいないけれど。

 僕たちと鏡の中のアイツは二重に重なった。
 頭の位置も足の位置も、右手の位置も左手の位置も一緒だ。違うのは僕たちの顔の所にアイツの後ろ
 頭の髪の毛があり、アイツの背中が僕たちのおへその方にある、ということだ。

 

■前後が入れ替わってるけど、上下左右に変わりはない

 

 何度も言うけれど、「前後が入れ替わった」ということ以外には、上下も左右も入れ替わったりして
 いない。

 では、なぜ僕たちは、「鏡像は左右が入れ替わっている」と思っているのだろう。

 ここで。【もう、いいよ】。

 我慢に我慢を重ねてきた、いつものあのカンジに戻ってみよう。鏡の中のアイツの立場になってみる。

 さー、あなたはどうイメージした?

 おそらく、上下方向に体の真ん中を通っている縦の線を中心軸にして、自分をクルッと180°回転さ
 せたはず。 なー、なー、そーやろ。

 
 僕には、この動作こそが、「人間にとって鏡像が左右入れ替わっているように思えてしまう理由」の
 全てだと思える。
 
 本当は、前後が入れ替わっているだけなのに、その前後を合わせたいものだから、鏡の中のアイツの
 立場になろうとして、上下の縦線を回転軸にして180°回転してしまった。その為に上下ではなく、
 左右が入れ替わったと思ってしまうのだ。前後を入れ替えるのなら、逆立ちするみたいにして、左右
 の横軸を回転軸にして180°回転してもよいはず。


■なんて左右シンメトリーな僕たちの体

 

 そうしないのは、僕たちが、ほぼ左右対称な身体を持ってること、つまり左右に1セットとなるような
 対の器官(手、足、腕、目、耳など)を持っている生物であり、なおかつ、心の理論、即ち、相手の立
 場に立って物事をイメージすることのできる機能を備えている生物だからだ。(上記のように、横軸で
 180°回転しても上下が変わってしまう。もっとも左右が変わるか、上下が変わるかの違いだけなの
 だが、僕たちの体は左右の差に比べて、上下の差があまりにも大きいのだ。)

 
 余談だが、動物行動学の観点からすると、体の全体的な左右シンメトリー度が高いオスは、何かにつ
 けて優れていて、メスにモテモテなのだそうだ。パラサイトを寄せ付けない結果としてのシンメトリーな
 身躯の完全さが伝わるらしい。

 
 

 閑話休題。僕たちは日常、前後の向きを替えようとした時は、逆立ちしたりせずに(この仕方だと上下
 が入れ替わる)、上下の縦軸で体を180°回転させる方(この仕方だと左右が入れ替わる)が、ずっと
 ラクだし、普通のことだ。

 前述したような人間の身体的特徴と生息環境(多分、重力との相関が怪しい)と、それに伴う認知の様
 式がそうさせるのだ。おそらく僕たちが培ってきた文化文明にもこの影響はあるだろう。

 また、たちの悪い事に、鏡の中のアイツの立場にたつ際にする回転の動作があまりに普通の事すぎ
 て、自明であるかのように思ってしまうので、その回転動作を意識上に浮かび上がらせて特別に扱う事
 がなかなかできない。

 
■上下対称生物

 
 だから僕たちと違って、上下に対称となるような身躯を持つ生物にとって、鏡像は上下が逆になって感
 じられるはずだ。僕たちが、鏡像は左右が入れ替わっている、と思っているように。

 

 さらに、話をわかり易くする為に、ちょっとそんな生物を考えてみた。

 

 「サンスケ」と名付けてみた。

 「サンスケ」の日常は、左右を結ぶ横方向の線を中心軸にしてクルクルと回転することと、相手の気持
 ちをよく理解することを美徳とする社会の中で営まれている。悪い仲間はなるべく遠ざけようとする。

 

 「サンスケ」にとって鏡は上下を逆にするものだ。なぜなら、左右対称の僕たちと違い、「サンスケ」は
 上下対称の体なので、縦軸中心の180°回転をしても鏡の向こうのヤツとは重なって感じられない。
 
 だから当然、普段からやり慣れている横軸中心の180°回転をイメージする。結果、自分が上の手を

 曲げたら、鏡の向こうのヤツは下の手を曲げているぞ、と感じることだろう。

 

 

 最後に、こんな問題をひとつ。

 紙に「あ」と書いて、それを鏡に映して見る。

 
 どう見えましたか?(いや、というより気づかぬまに、どの軸で紙を回転させたか、と言うべきか)
 

 

 
人間風?
 

 

 それとも「サンスケ」風?

 

 

 

 

quod vide:
 「新版 自然界における左と右」マーティン・ガードナー著/坪井忠二・藤井昭彦、小島弘訳
   鏡像の話から時間の対称性の話まで、自然界の様々な左右の話が博覧強記てんこ盛り。
   左利きに対する偏見のお話の中で、日本でもそれが顕著だけれど、ひとつ希望が見ら
   れるのは「私の彼は左利き」という歌がヒットしたことである、なんて書かれてある
   素敵な本。(第1版1964年発行)
   著者は懐疑論者でアマチュアのマジシャン。素敵なおじーちゃんであるが去年亡くなった。
 
 「シンメトリーな男」竹内久美子著
   日高敏雄との共著「もっとウソを!-男と女の科学の悦楽」がとても面白い。

 

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近未来のスクーター。[パーソナルビークル編-その5]

みなさんこんばんわ、時間が無い!  全く。“´y`A”です。

1週空けたのに全く。 くうぅ
さて、手短にホンのちょっと。ハンドルとトップブリッジ?回りを少し。

そもそも、ピボットが随分下にあるのにトップブリッジというのか?

調べなきゃ…
このあたりはスクーターっぽくないですね。そしてメーター類!
ココらへんが一番進化しそうなところですね。
今流行のスマートフォンのように、液晶ディスプレイでタッチパネルとか…
ちょっと仮にカタチを作ってみました。四角いのもイメージに合わないし
楕円の奴。メーターグラフィックなんかはソフトでドンナノデモ出来そうですし。

で、キーとかは指紋認証とかにして…
とその前に、ハンドルとタイヤちゃんと繋がないと… 次に出す時には出来てるといいな。

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アイデアの宝石箱やぁ<絵心について>

は天下の回り物だ!ただ、いつもこっちをよけて通るのが気に食わん。
                                                                 byツルゲーネフ『猟人日記』

     

    

こんにちは。ツルゲーネフじゃなくても、私だって気に食わない、ピコ麻呂です。

      

      

今回は絵心のお話。
私が今生業(なりわい)としている仕事は、CG制作。
CGといえばパソコンが勝手に描いてるんでしょ、と誤解している方がたまにいますが、クリエーターの絵心とセンスが決定的に影響します。
例えば素人のスナップショットと、プロカメラマンの作品とでは明らかな違いがあるように、CGの世界でも明確に差が出てきます。

一言で「絵心」といわれても、そのもつ意味は色々あります。
正確無比なデッサン力、独創的な色使い、観る者を引き込む構成力。
今回は、「絵が上手い」「絵がヘタ」と一般的に判断される大きな要素であるデッザン力について。

  

このデッサン力に代表される「絵心」、何故人によって違うのでしょうか。
よく「下手」と称される人の絵は、幼児が描いたような絵に似ています。

  

では、幼少の頃を思い出してください。(覚えてないと思いますが…)

   

幼児がクレヨンを掴んでグリグリと何かを描きはじめる。
最初はダーダー言いながら、紙にあたるクレヨンの感触を愉しむかのように打ちつけ、次第にクレヨンから繋がる色の軌跡を見たくてグルグルと紙上を走らす。しかし言葉を話すようになってから、意味のないクレヨンの軌跡が、急に何かを描き出す。
ママ、犬、太陽。覚えた単語と同じだけ、描くレパートリーが増えていく。

そう、何かを表現する絵には、必ず言語や具象の認知野とパターン認知野で脳が認知したものが描かれます。
例えば犬を描くとき、子供の絵は犬の形状や向きは気にせず、頭、胴、足+シッポを描いて犬を表現します。これは、犬をそれそれの部位で構成された言語(もしくは条件付)と、それに関連付けられた各形状のパターンとして認知しているからです。幼児は、足の長さや太さ、本数までは細かく識別できていないので、足を1本線で表現したり、3本足の犬を描いたりします。
実は、この描く対象の言語化が下手な絵を生むのです!

    

  

話しが少し飛びますが、みなさんはサヴァン症候群をご存知でしょうか?

    
映画「レインマン」でも登場した、特定の分野に限って常人には及びもつかない能力を発揮する方の症状のことです。
モーツァルトや、おにぎりで有名な山下清もそうではないかといわれています。
その中で、テレビでも取り上げられたスティーブン・ウィルシャーという画家がいます。
彼は10分から15分街並みを見るだけで細部まで記憶し、建物を窓の数まで正確に描くことができるのです。
特に彼の小さいときに描いた馬の絵は、大人が描いたように写実的で、私も結構衝撃を受けました。
彼の描き方は、網膜に映った画像をそのまま記憶して、その画像を言語化や条件付けせずに、ありのまま描くのです。

   

   
そこで結論

   

絵が下手な人は、小さいときから話し上手な人。

 
絵が上手い人は、小さいときから話しベタな人。

    

  

かなり牽強付会な結論ですが、意外と腑に落ちるような気もしませんか?

   

いや、俺は話しベタで絵も下手だ!どうしてくれるんだ!!といわれる方。

   
絵心はなくても、少し手心を加えてほしい、ピコ麻呂でした。

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