さりとて、こんにちは。夏口です。
ふと気がつくと、窓ガラスに室内の様子が薄く反射して映りこんでいる。
目の焦点の合わせ方次第で、窓外の景色を見ることができるし、あるいは映りこんだ室内を窓ガラス
の表面に見ることもできる。今回はそんな話ではじめてみる。
パースを描いてると、この世界のそこら中に、光の反射と映りこみが満ち満ちていることが気になっ
てしょーがなくなる。ガラス面は勿論、水面、車のボディー、家具の金属部分、大理石のようなツル
ツル素材、鏡面仕上げのライター、CDの裏面、携帯の液晶画面と、枚挙に暇がない。
CGパースの場合、物体への映りこみも含めた基本的な素地は、機械が光学法則に則ったフリをして
計算してくれるので、物理的には正しい反射、映りこみが計算結果として現れてくる。
ところが、はじめに書いたように、人間は瞬時に見たいものにフォーカスする目を持っているので、
人間の見た目に自然な絵を仕上げる為に、絵としての細部のバランス調整が必要になっってくる。
逆に言えば、光の反射やモノの映りこみ、影のバランス調整によって、見せたい勘所に視線を誘導
できたりもする。
制作経験が短い間は、窓ガラスに映っている室内の向こうに透けて見えている外の景色、みたいな絵
に妙にリアティーを感じてしまうので、嬉しくなってやたらと映りこみを強くし過ぎて、お客さんに
「これやったら折角の外の景色が全然見えてへん」と怒られたりする。
そんな風に、常日頃から眼前に展開するこの世界の映りこみを観察している習癖をもってして
こんなコトを、どーなのよ?と。
■なぜ、鏡に映った自分は左右だけが逆なんだ?
この謎は歴史がある由緒正しいモノらしい。
しかし、単純に鏡の前に立った時、なんで右と左が反転してるのや?と。上下はひっくり返ってない
ぞ、と。なんで上下ではなく、左右が反転しているのや?と。
この問題を考える時、今からひとつだけ、たったひとつだけ約束事がある。
僕が「もういいよ」と言うまで、絶対に鏡の向こうにいるアイツの立場にたたないコト。これだけを
前提条件として、簡単な結論に辿りつきたいと思う。
■絶対に鏡の向こうのアイツの気持ちで考えないコト
さて、鏡を見てみる。いつものアイツが映っている。
右手を挙げてみる。
さー、ここで、アイツの立場にたたない僕たちは、あくまでもこっちから見て考える。
頭はこっちと一緒で上にある。足は同じく下にある。挙げた右手も同じく右にある。下げたままの
左手も同じく左にある。
違うのは-。
僕たちは鏡の方に向いて立っている。アイツは僕たちの方を向いて立っている。
そー。
違うのは前後の向きだけ。
前後だけが入れ替わっている。これが鏡の属性。上下、左右に入れ替わりはない。
(後で述べる理由で、ここからは”逆転する”、”反転する”、”ひっくり返る”という言葉は使わ
ない。それらの言葉は僕たちのとある行動を想起させるから)
まだ不満なら、アリスのように鏡の中に一歩、足を踏み入れてみよう。黒猫キティーはいないけれど。
僕たちと鏡の中のアイツは二重に重なった。
頭の位置も足の位置も、右手の位置も左手の位置も一緒だ。違うのは僕たちの顔の所にアイツの後ろ
頭の髪の毛があり、アイツの背中が僕たちのおへその方にある、ということだ。
■前後が入れ替わってるけど、上下左右に変わりはない
何度も言うけれど、「前後が入れ替わった」ということ以外には、上下も左右も入れ替わったりして
いない。
では、なぜ僕たちは、「鏡像は左右が入れ替わっている」と思っているのだろう。
ここで。【もう、いいよ】。
我慢に我慢を重ねてきた、いつものあのカンジに戻ってみよう。鏡の中のアイツの立場になってみる。
さー、あなたはどうイメージした?
おそらく、上下方向に体の真ん中を通っている縦の線を中心軸にして、自分をクルッと180°回転さ
せたはず。 なー、なー、そーやろ。
僕には、この動作こそが、「人間にとって鏡像が左右入れ替わっているように思えてしまう理由」の
全てだと思える。
本当は、前後が入れ替わっているだけなのに、その前後を合わせたいものだから、鏡の中のアイツの
立場になろうとして、上下の縦線を回転軸にして180°回転してしまった。その為に上下ではなく、
左右が入れ替わったと思ってしまうのだ。前後を入れ替えるのなら、逆立ちするみたいにして、左右
の横軸を回転軸にして180°回転してもよいはず。
○
■なんて左右シンメトリーな僕たちの体
そうしないのは、僕たちが、ほぼ左右対称な身体を持ってること、つまり左右に1セットとなるような
対の器官(手、足、腕、目、耳など)を持っている生物であり、なおかつ、心の理論、即ち、相手の立
場に立って物事をイメージすることのできる機能を備えている生物だからだ。(上記のように、横軸で
180°回転しても上下が変わってしまう。もっとも左右が変わるか、上下が変わるかの違いだけなの
だが、僕たちの体は左右の差に比べて、上下の差があまりにも大きいのだ。)
余談だが、動物行動学の観点からすると、体の全体的な左右シンメトリー度が高いオスは、何かにつ
けて優れていて、メスにモテモテなのだそうだ。パラサイトを寄せ付けない結果としてのシンメトリーな
身躯の完全さが伝わるらしい。
閑話休題。僕たちは日常、前後の向きを替えようとした時は、逆立ちしたりせずに(この仕方だと上下
が入れ替わる)、上下の縦軸で体を180°回転させる方(この仕方だと左右が入れ替わる)が、ずっと
ラクだし、普通のことだ。
前述したような人間の身体的特徴と生息環境(多分、重力との相関が怪しい)と、それに伴う認知の様
式がそうさせるのだ。おそらく僕たちが培ってきた文化文明にもこの影響はあるだろう。
また、たちの悪い事に、鏡の中のアイツの立場にたつ際にする回転の動作があまりに普通の事すぎ
て、自明であるかのように思ってしまうので、その回転動作を意識上に浮かび上がらせて特別に扱う事
がなかなかできない。○
○
■上下対称生物
だから僕たちと違って、上下に対称となるような身躯を持つ生物にとって、鏡像は上下が逆になって感
じられるはずだ。僕たちが、鏡像は左右が入れ替わっている、と思っているように。
さらに、話をわかり易くする為に、ちょっとそんな生物を考えてみた。

「サンスケ」と名付けてみた。
「サンスケ」の日常は、左右を結ぶ横方向の線を中心軸にしてクルクルと回転することと、相手の気持
ちをよく理解することを美徳とする社会の中で営まれている。悪い仲間はなるべく遠ざけようとする。
「サンスケ」にとって鏡は上下を逆にするものだ。なぜなら、左右対称の僕たちと違い、「サンスケ」は
上下対称の体なので、縦軸中心の180°回転をしても鏡の向こうのヤツとは重なって感じられない。
だから当然、普段からやり慣れている横軸中心の180°回転をイメージする。結果、自分が上の手を
曲げたら、鏡の向こうのヤツは下の手を曲げているぞ、と感じることだろう。
最後に、こんな問題をひとつ。
紙に「あ」と書いて、それを鏡に映して見る。
どう見えましたか?(いや、というより気づかぬまに、どの軸で紙を回転させたか、と言うべきか)
人間風?

○
○
○
○
それとも「サンスケ」風?
○
○
quod vide:
「新版 自然界における左と右」マーティン・ガードナー著/坪井忠二・藤井昭彦、小島弘訳
鏡像の話から時間の対称性の話まで、自然界の様々な左右の話が博覧強記てんこ盛り。
左利きに対する偏見のお話の中で、日本でもそれが顕著だけれど、ひとつ希望が見ら
れるのは「私の彼は左利き」という歌がヒットしたことである、なんて書かれてある
素敵な本。(第1版1964年発行)
著者は懐疑論者でアマチュアのマジシャン。素敵なおじーちゃんであるが去年亡くなった。
「シンメトリーな男」竹内久美子著
日高敏雄との共著「もっとウソを!-男と女の科学の悦楽」がとても面白い。